五月もみじ

2013.05.20 Monday

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    もみじの花

    わが家には、もみじの木が数本あります。

    たぶん、イロハモミジだと思っていますが、
    数年前に、登山仲間の方に頂いて、
    植え替えたその年から、

    毎年、秋には見事な紅葉を見せてくれています。

    でも、紅葉になる前の、青々としたモミジの葉も、
    きれいなものです。


    朝方や、夕涼みのときに眺めていると
    今年はじめて、気がついたものがありました。


    上の写真の、奥の方に写っている赤っぽい双葉(のように見えるもの)。

    もみじの花2

    もみじの花3


    小さくて、かわいらしい。


    小学生の頃に、親子工作で作った竹トンボを思い出すような形です。


    なんだろう?と思いつつ、疑問のままにしていたら、

    この間、テレビで取材されていた百花蜜を作る養蜂家の方が
    教えてくれました。

    これ、「もみじの花」なんだそうです。



    モミジの木が、わが家の庭に来てくれて数年、
    毎年花を咲かせ、おそらくミツバチも来ていたんでしょうが、
    今年はじめて気が付きました。

    モミジの見頃は秋、とどこかで決めつけていた間は、
    目の前にあるものなのに、見えていなかったんでしょう。

    考えてみれば、植物に花があるのは当たり前のことですけどね。


    小さくて、何気ないところに、大切なものがあるのは、
    もみじも、麺作りも、同じです。
    (ちょっと強引ですけども)

    小さいときから見てきた麺作りですが、
    何気なく作業してしまう、シンプルな工程の中に、
    コシと風味を引き出す按配があるんですよね。

    最近また、よくそのことを考えます。

    うまく言葉で名付けできればいいんですが、
    何しろ、ほとんどが、父の目と手の感覚の中にあるものなので、
    掴んだと思っても、また次の?が出てくる、という感じです。

    細やかに麺の状態に心を配らないといけないと同時に、
    「今日は、このぐらいで、いってみよう」という
    おおらかさが大切だったり。

    そうやって、これが答えだという正解はわからないながらも、
    日々、麺はいい具合に仕上がっていく。

    それはもちろん、父と母の34年間の経験があるからなので、
    自分も精進は絶対に必要なのですが、

    一方で、言葉で「わかる」必要はないのかもしれないとも
    思います。


    同じ日は、二度と来ない。

    気温も、湿度も、風も、日差しも、その一日の変化具合も、
    全く同じ日、というのはありえないわけです。

    同じ晴れでも、雨の後の晴れなのか、3日続く晴れなのか、

    もっと言えば、作り手のコンディションも同じではないし、
    今日の自分は、昨日の自分より経験を積んでいるし、
    一日分、年をとっている。


    だからおそらく、「わかる」ということは有り得ないけれども、
    わかろう、つかもう、とする視点というか、心構えは、
    いつも持っていたいものです。


    わが家の麺を楽しみに待って頂いている方の期待に応えたいし、

    それに、

    見過ごしていた景色の中に、何かを発見するという体験は
    楽しいですからね。




    それから、私信ですが、
    誕生日おめでとうのメッセージを多数頂きまして、
    ありがとうございました。

    この一年も、いい一年になりそうです。
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